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岩波書店
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世阿弥―花と幽玄の世界 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)
カスタマーレビュー ![]()
芸術の「古典」であるが現代にも通じる
(2007-08-30)
観阿弥・世阿弥が言うところの芸能における「花」ということに興味があり本書を読んでみたのですが、単に芸能(芸術)における古典ではなく、現代の社会にも通じる記述が随所にあり思わず引き込まれてしまいました。
「花」を極めるためには結局は、なによりも稽古(努力)が第一であり、慢心せず常に謙虚に稽古に精進することだと理解しました。これは単にビジネスだけでなく生き方にも通じることではないでしょうか。
なお原文は当然のことながら古文ですが、
・非常に平易な文で記述されていること
・分量が多くないこと
・章立てが細かいこと
により読み易い本です。
ぜひ一読されることをお勧めします。
すべてに通じること
(2006-03-28)
高校時代に本書に目を通したときは、この本の凄さが良くわからなかった。しかし、数年前、改めてじっくり読み直し、ひとつのことを極めた世阿弥という人の凄さを実感した。この本に書かれていることは、簡単に言ってしまえば世阿弥の能に対する考え方、能を演じる者としての心構え、芸術論である。が、一職業人として、また芸術家として、それまで娯楽でしかなかった「能」を芸術にまで高め得た才知と哲学の体系は、能あるいは芸術一般のみならず、現代の私たちの生き方の指針ともなると思う。
史上まれに見る演劇理論
(2005-05-20)
世阿弥の演劇理論の驚くべきところは「悲しみを演ずるのに涙を使わない、老人を演じるには背中を丸めない」という反具象性であろう。西洋がスタニスラフスキー・システムなどを通しようやく思い至った演劇の真髄を、この時代に既に見て取っていたその眼力には感服の他ない。息子にこれだけのことを口伝で叩き込んだ観阿弥という親父のすごさは言うに及ばず、それをしっかり消化して演劇論のレベルにまで昇華した息子も怪物と呼ぶ他は無い。お涙ちょうだいの三流ドラマを愛でる日韓の叔母様方の現状を見たら、世阿弥は何と言って嘆くであろうか。「老人ならば背筋を伸ばせ」はご老人相手に健康教室で話をするときによく引用させてもらっている。自分の背筋も伸びる。
必須本
(2004-11-22)
「風姿花伝」は明治42年に吉田東梧博士が学会に発表するまで、存在すら知られていなかった”秘本”ですが、このような素晴らしい本を現代に読める喜びは表現しようがありません。吉田博士ありがとうございます。
「秘する花を知る事。秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず、となり。この分け目を知る事、肝要の花なり。そもそも、一切の事、諸道芸において、その家々に秘事と申すは、秘するによりて大用あるが故なり。」という有名な言葉は様々なところで引用されている。今風に言えば、チラリズムと言えようか。認知度を高めるためにはできる限り、効果的に伝えたほうが良いと思いますが、能のような秘儀を演じる場合、出し惜しみが大切であると理解しました。
世阿弥の有名な言葉に「新、珍、楽」という言葉がありますが、現代でも充分通用します。第3者に受けるにはこの3点がポイントということです。ご参考になれば幸いです。
古今を通じて流れる日本人の「美」意識
(2004-03-29)
室町時代、三代足利義満将軍のもとで、従来より親しまれた申楽を「能」として大成した世阿弥が、その父親である観阿弥から伝えられた精神を、秘して子孫へ伝えようと著したものがこの「風姿花伝」である。口述による指南の限界を意識しながらも一貫して説かれる極意は、古来より流れる伝統としての「風」をいかにして体得し、時宜に相応しい「花」として咲かせるか、という比喩に徹頭徹尾凝縮されている。
事物の本質を的確に捉え、自身の心の内に一心同体とすることが「芸」としての物真似の妙であり、把握に失敗すれば「弱さ」を持った「幽玄」や、「荒さ」を持った「力強さ」が顕在化し、本質を見失う。名誉や技巧の追求に走らず無心に稽古に打ち込む姿勢や、表現しようとする心を捨て去った後に浮かぶ純粋に自然な表現に裏付けられてこそ、貴賎老若男女に慕われる芸となり、万人に感動と幸福をもたらし、人生を豊かにすると説く。
古来より伝わる「禅」の思想と、自然との一致を目指す日本人の美的感覚を、その底流に感じさせる世阿弥の芸論は、「能」の世界にとどまらず人生の指針としても有用なものであろう。文章は古文体であるが、重要な概念を示唆する節には適宜補注が加えられており、全体として真意を失わずに読むことができる。変化し続ける個々人の考え方を包括的に俯瞰してこそ、部分の意義を認識できるとする世阿弥の意見に従えば、「花鏡」や「劫来花」など他の著作も是非とも読んでみたいものである。

